慶尚北道聞慶⑩「太祖王建」ロケ地 クンイェ最後の地

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龍湫と書いた石が。
詩人、墨客が好んで訪ねた景勝地らしい。

 

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もう少し下まで行ければよく見れるのでしょうが、
この足場では流石に危険を感じる。

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そして、「太祖王建」でクンイェ最後のシーンを撮影した場所のようです。

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✐クンイェ(弓裔)(870-918)は新羅王族で901年後高句麗を建国して王になった。
911年には国号を泰封、年号を水徳萬歳とし自らを彌勒佛だと称するなど暴君に転じた。結局、部下達が王建を王に推戴するとすぐに追い出されて平康で殺害された。

「決して短くない歳月だった。 人生が刹那と同じだと思いながら、なぜそんなに欲を出したのか?ホホホ。このように空しく行くことを・・・」(クンイェの最後の独白)


こんなに立派な看板があるとは・・・。

 


このあたりでしょうかね?

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その先には「願い成就塔」とあります。

 

✐その昔聞慶セジェを通る旅人達がこの道を通り一個の石を積み重ねていった。
ソンビ(儒学者)はトップで合格し病気でからだがやせた人は全快。商人は商売がうまくいき、息子を産めない女性は玉のような男の子をさずかったという話が伝えられているそうだ。

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日本人的にこういうのをみると賽の河原を思い出し、ちょっと怖いようなイメージなんですが、まったく違った意味合いだったんですね。

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